様々なイエス物語が一本の木だとしたら、エフェソ書は救いの森全体だ。それは神を「たたえる」(1:3,6,12,14)。
人は神を賛美するために創られ、救われ、祝福されて生きている。信仰は、独りで自分の罪を見つめる「反省」ではない。神の民となって「天のあらゆる霊的な祝福で満たす」神を讃える「礼拝」だ(3)。約束を相続した喜びだ。
神はあなたを「約束の相続者」である神の民の一人として「天地創造の前に、お選びになりました」(4)。なんという安心か。独りで悩み苦しむずっと前から、神はあなたを愛している。人生と世界の全ては御心に貫かれている。
その約束の成就と相続は「新しい出エジプト、新しい解放」だ。神は全人類を救うためにイスラエルの民を選び、全ての「祝福の源」とすると約束された。そして主は約束を忘れず、イスラエルの民がエジプトで奴隷となっても、自らその民を贖い解放された。出エジプトの「解放」だ。
その解放は実は、新しい解放の前触れだった。出エジプトでは、鴨居に塗られた屠られた子羊の血によって、イスラエルの民は死の悲惨から解放されて脱出できた。今度は神のみ子キリストの「血によって贖われ、解放され、罪を赦された。」(1:7) イエスさまの死によって失敗と罪と死の奴隷から解放され、新しい人になる。復活して天におられるイエス様に「まとめられ」(10)、聖霊の恵みを「あふれる」(8)ように受ける、約束の相続人になったのだ。
この偉大な歴史の約束を相続した私たちは、もう小さい自分の縛りから抜け出して、大いなる救いの神をたたえよう。ハレルヤ!!
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マルク・シャガール「過越の子羊を食べるイスラエル人」1931年パリ。