もうずっと病気を抱えて生きてきた。イヤになる。ときには生きることさえ・・・。まるで汚れた病魔が取りついて離れないようなのだ。
ゲラサ人は「汚れ」だらけ。ここは「汚れた異教徒と豚」の地。汚れた霊に取り憑かれたこの人は、死で汚れた墓場に住む。その苦しみは深く痛く、足枷や鎖を引きちぎり、墓場や山で叫んでは、石で裸の自分を傷つける。まるで病気や老いや死の苦しみに、自ら死を願う心のようだ。
そこに神の子イエスが海を渡ってくる。命の側から死の側に、渡ってくる。その瞬間、走り寄って五体投地した男の中から、汚れた霊が懇願する。「かまわないでくれ。」しかし命の主キリストは神の国を宣言される。「汚れた霊、この人から出ていけ。」主が宣言されるなら、どのような汚れた霊も力も従う。汚れた霊が願ったのは汚れた豚に乗り移ること。その結果、両者は共に死の海へとなだれ込んで溺れ死ぬ。男は助けられた。癒された。憐れまれた。
その後はただ美しいばかりの平和な顔で、この人は服を来てイエスの横に坐っている。そして船に乗り込むイエスに憧れ「一緒にいかせてください」と頼む。だが逆に福音宣教に遣わされる。「帰って、主が憐れんでくださったことを家族に知らせなさい。
」信徒の使命。この人は家族で終わらず、異教徒たちに主の憐れみを知らせる。
主は私を憐れみ病と死を追放なさる。病と死を十字架で受け、豚のようになって共に滅んでくださる。そして復活の力で、必ず私の中から病と死を追放してくださる。
思えば私の周りには、必ず共にいてくれる人がいた。
「海に投げ込まれた豚」J.Tissot,1886-96,ブルックリン美術館.