愛する人を持つと、その人が救われることが自分の救いになる。特にそれが未来ある我が子なら、なおさらだ。
私、ヤイロは、尊厳ある会堂長だ。しかし愛する娘が病気で死にそうな今、そんなもの関係ない。12歳まで愛情注いで育てた娘。もうすぐ結婚し幸せになるはずだった。
ちょうど「神の子イエス」が港に着いた。私は会堂長の尊厳も男のプライドも捨て、土下座して頼んだ。「愛する子が死にそうです。どうか手を置いて、助けて、生かしてください。この子が私の救い、生きる望みなのです。」嬉しいことに聞き入れられ、大勢に群衆と共に家に向かった。
それなのに他の女性を癒している間に家からの知らせが来た。「娘さんは死にました。もう先生は必要ない。死んだのだから、もう終わりだ」と。私は最後の希望が消え、泣き崩れた。
しかし、あの人にとっては、終わりではなかった。全員が諦めた沈黙に、私の肩を抱いてこう言われた。「恐れることない。ただ信じなさい。」理解できない。だが私はこの方を頼ることで、未知の扉、神の国の扉が開かれた。
開かれた神の国では、ただイエスさまを見つめるだけだった。嘲笑う群衆を締め出し、一緒に「死の家」まで入ってくださり、死んだ娘に会い、汚れることさえ恐れずに、小さな手を取って言われた。「タリタ・クム」。魔法の言葉ではない日常生活の言葉。「さぁ、おきなさい」。すると娘は眠りから覚めるように蘇った。私はその時、救われた。
この方こそ神の国の王だ。死の力を十字架で滅ぼし、復活の力によって、愛する人を復活させてくださる。