死後の世界? 「脱ぎたいからではなく・・・上に着たいからです」 (2コリ5:4)

2021/06/12

きちっとした身なりで教会に来る人を見ると嬉しくなります。(誰でも嬉しいのですが、よりいっそう、です)「敬意を見える形にして、神に会いに来られた」と。誰もパジャマや下着、まして「裸のままで」なんて礼拝に来ませんよね。


パウロの言葉では「誰も脱ぎたい」のではなく「上に着たい」のです。着ているほうが「自分らしい」からです。これは復活の体の譬えです。ここで「服」は「肉体」、「裸」は「体から離れた魂」です。人は死んだら肉体から離れた魂だけでフワフワと「天国」という死後の世界に行くのではありません。それはまるで裸で礼拝に出るような、自分らしくない姿です。そうではなくて、最も自分らしく美しいきちっとした姿で、いやどんな想像力をも超える神の栄光に輝く肉体をまとって、主イエスと共に父に会いに行くのです。


確かに肉体は老いて病んで「壊れ」て死に、火葬されて骨になり土になります。そして神の内に魂はしばらく休みます。しかし千年も万年も一瞬にすぎない安息の後(90)、神が栄光の肉体を重ね着させてくださいます。それは復活の主イエスさまと同じ体です。今までの肉体と人生を捨て去るのではありません。「死ぬべきものが命に飲み込まれてしまうために、天からの住まいを上に着る」のです。(5:4) 今までこの体で体験してきた愛と喜びと楽しみは一切無駄になりません。苦しみも悲しみもすべて復活の体に飲み込まれて輝き、抱き合って主を賛美するのです。


毎主日、礼拝に着替えるとき、復活の重ね着を想いましょう。「さぁ、自分以上に自分らしい姿にしていただいて、イエスさまの輝く体を着させていただいて、愛する天のお父さまに、会いに行こう。」





このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 神の愛 十字架 聖餐式 祈り 信仰 受肉 聖霊 イエス 神の国 赦し 三位一体 癒し アッバ 変容 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 弱さ 恵み 救い 昇天 神の子 羊飼い 自分らしさ ぶどう園 アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 奉献 悔い改め、荒れ野 悪霊 悪魔 放蕩息子 教会 洗礼 洗礼者ヨハネ 解放 イスラエル インマヌエル ゲッセマネ マリア 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 幸せ 弟子 忍耐 感謝 礼拝 神の支配 自由 行い 誘惑 過ぎ越し 陪餐 食卓 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム エリヤ カナ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受肉、似姿 受難 境界線 天国 奉仕 契約 婚宴 安息 審き 希望 平安 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 教会愛 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 祝福 神の家 神の言葉 神化 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦しみ 苦難の僕 被献日 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 試練 誓約 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賛美 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ