何度でも会いに来るから 「手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい」 (ヨハネ20:27)

2021/04/10



「復活って教会では言うけど、家に帰れば復活なんて感じられない。教会や礼拝の喜びも忘れる。体調が悪ければ、神さまも、死を超える復活のキリストも遠い。本当は近くに感じたいけれど・・。」

 

そんな不謹慎な気持ちや祈りをつぶいてよいのが復活後第二主日だ。一週間前、復活の福音が宣言されたにも関わらず、自分の実感のなさから心が暗くなる弟子トマスが、実感のない私たちの暗い心を代弁してくれる。

 

よく「疑うトマス」と呼ばれるが、彼は冷静に分析して懐疑的になっていたのではない。この人は主イエスと「一緒に行って死ぬのではないか」と言い、分からない時は「分かりません」と素直に認める人物だ。ここでは熱い心で、素直に「主イエスさま、他の弟子たちのように、あなたを近くに感じさせてください」と主の存在感を求めていたのではないか。

 

実感を求めるトマスに主イエスは答えられ、会いに来られた。会いに来てまず満たされない心に「平和」を宣言された。そして「指を手の傷に当て、手を脇腹に入れなさい」とまでご自分を差し出された。キリスト教の神は五感で復活の恵みを知らせる神だ。あなたが感じるまで何度でも会いに来てくださる神だ。

 

トマスは自分を追いかけて会いに来られたイエスさまに、愛を感じた。だから実際に触れる前に信仰を宣言した。「私の主よ、私の神よ」。こうして「言は神であった」と始まった福音書を、実感を求めたトマスが「私の神」と締めくくった。

 

私たちは復活の実感を求めてもよい。求めるあなたに復活の主イエスさまは何度でも会いに来られる。見える形で、または見えない形で、何度でも。どうか私たちの心の目が、会いに来られる復活の主の存在に開かれますように。


---

レンブラント「トマスの疑い」の一部、1634年、プーシキン美術館、モスクワ

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 イエス 受肉 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ