死から命への旅 「死にかけているようでいて、こうして生きており」(2コリ6:9) 大斎始日・灰の水曜日

2021/02/17


「あなたは塵()であるから、塵に帰らなければならないことを覚えなさい。」(3:19) こう言って額に灰の十字架のしるしをつるが灰の水曜日です。


最初は「暗くて陰気なしるし」と思い礼拝後にスーパーに入る前に十字のしるしを消しました。「死を覚えるなんてイヤだ。もっと喜びを?」と。日本人には火葬後の灰を思い起こすので尚更です。悔い改めも、紫色も、陰気に思えました。湿った「反省」ばかりの礼拝だと。


ですが回を重ねて知りました。これは喜びのしるしだと。この世では罪と死のしるしだが、神との関係で見れば、そんな自分をも愛して新しい命を与えてくださるしるしだと。灰の十字は死へ向かうしるしではなく、死から命へ神に愛されて頂いて変わっていくしるしです。


復活日は44日だけではなく、今日、始まります。巡礼の旅は(お遍路でも)最後の目的地に一気に飛んではいけません。自分で歩き、神との関係を振り返り、祈りつつ、自分から神へ、死から命へと旅するその途上、その過程でこそ人は変えられていくからです。


初めに人は塵()に神の息を吹き込まれ、永遠に神を楽しむ不死の存在として造られました。ですが神を無視して背き、楽園から追放されます。このアダムとイブに神が言いまし。「塵()に帰らなければならない。」そうして人は死に逝く存在となりました。灰の水曜日は確かに罪と死の現実を覚える日です。


ですがこの罪と死の現実からこそ「それでも」愛してくださる神への旅が始まります。それがパウロが「受け入れなさい」という「和解」(2コリ5:20)です。神は人間がご自分と和解する手段として、我が子をこの世に遣わしました。そして罪と死という人間の暗い側面をすべて受け取って殺されたのです。しかし復活しました。そして新しい命、死を超えて神を永遠に楽しむ関係を回復されました。この神の一人息子イエスこそ新しいアダムであり、彼と結ばれた私たちも新しいアダムとイブなのです。


神は我が子を殺される痛みを飲み込んで、人間との和解を差し出されました。救いの手です。この神の手をしっかりと握って離さず、神に帰りましょう。自分から神に、罪から愛に、死から命に、この世的な見方から神の視点に、人間の忙しい時間から神の永遠の今に信仰共同体全体で帰りましょう。


ただし今はその過程、旅の途上です。罪から愛に、死から命に、変わりつつある旅の途上です。だから「(この世的には)死にかけているようで、(神から見れば生きており、悲しんでいるようで喜び、貧しいようで多くの人を富ませ、何も保たないようですべてのものを所有しています」(9-10)。この世も自分たちも、まだまだ罪と死です。ですが神から見れば命に変わりつつあります。これを信じて神の国を生き始めましょう。


大斎の伝統である「①祈りと、②断食(節制・贅沢を断つ)と、③愛の業(喜捨・献金)」で具体的に、死から命への旅を歩みましょう。(主日は祝いの日で斎日ではないそして45日には、罪と死を愛と命に変えられる創造主を、聖霊によってその一人子と結ばれて、力一杯に、感謝と賛美を献げましょう。


スーパーで私は見ました。十字の印を額に付けて、恥ずかしがるどころか、礼拝の恵みと喜びの余韻を残した人を。


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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