「ない、ありえない・・・。」 今年は「お祝いモード」になれないクリスマスと年末年始。本当なら何の問題もなく家族で一緒に祝いたい。だが世界は病と戦い、暗い自粛が続く。誰も悪くない。悪いのは病の力だ。私たちは、高齢や病人や弱い立場の方はじめ、人の命を守るために自粛を選ぶ。しかたがない。だから、より暗くなる。
「ない、ありえない・・・。」 とマリアも言った。「どうしてそのようなことがありえましょうか」。本当なら何の問題もなく、親族に祝福されて結婚し、子どもを産み育て、家業を継いで、孫に囲まれてしあわせに老いていきたい、と。
この「普通」を天使は一言で吹っ飛ばした。あなたは父親なしの子を産む。その父は神ご自身で、その子は「神の子」、そしてダビデの系統を継ぐ「王」となる、と。これは人間的には、私生児としていじめられ、「神の子」皇帝への叛逆者として、またユダヤ教の指導者を傲慢にも「支配する王」として憎まれ、捉えられ、処罰されることが想像にたやすい。受胎告知は苦難の告知でもある。
そんな問題だらけの人間社会で、神は人間となられた。それは問題だらけの人間を救うため。この人イエスは人間のすべての問題、病、死、罪の運命を受けられる。そして復活して新しい命に私たちを創りかえられるのだ。
問題だらけのまま神は人間を、今の私やあなたを、受け取られた。問題だらけの存在のまま、私たちの真中に宿り、私たちを愛し抜かれる。この神に自分を委ねよう。
「あなたの言葉どおりに、この身になりますように」(1:38)。