「赤毛のアン」現代版ドラマの一場面。アンは活発で繊細な文学少女。間違って送られたカスバート家の兄妹から愛され、男子ではないのに養子縁組を受けることに。家族伝来の聖書に「アン・カスバート」と署名し歓喜に溢れる寸前、あまりにも大きい愛の前にぼう然とする。「私が二人の娘になる! 私のお父さん! 私のお母さん!」
主が「人性」を取ったように私たちも主の「神性」に与かる(降誕後第一主日特祷)。 神が人となり、人は神の本性に与かる。だが「神性」は小難しいことではない。パウロはそれは親子関係だと言う。「あなたはもはや召使いではなく、子です」(ガラ3:7)。健康で有能で善良である限りにおいて「家に置いておく」召使いではない。何があっても、何ができなくて、どんな失敗をしても、愛し続ける子だ、と。
もちろん生まれながらの神の子はキリストだけ。私たちは「養子縁組を受けた」神の子だ (4:5直訳)。生みの親より育ての親、と言うがその絆は血ではなく愛情だ。「生まれ」は関係ない。生来、あまり良い人ではない自分の本性も関係ない。神はただ、あなたを愛すると決め(契約)、誠実に愛し抜き、育て、贖い、変え、慈しみ、喜ばれる。
だからあなたは、イエスさまの心(聖霊)を通して、神さまに「アバ、父よ」と呼んでよい。この世に生き、悪い力の奴隷に落ちてしまっても、そう呼んでよい。どんな時も、「私のお父さん」と。愛の交わりである父と子と聖霊が、ご自分の命を惜しまず与え、必ずあなたを買い戻される。
神の養子縁組を受けて呼ぼう。「私の天のお父さん!」
NHK海外ドラマ「アンという名の少女 (“Ann With an E.” Canadian Broadcasting Corporation) Season1-2」より。(Netflix配信)