誰の忍耐か? 「私たちの主の忍耐強さは救いである」 2ペテロ3:15 

2020/12/03


フランシスコ・デ・ゴヤ 「悔い改める聖ペトロ」1820-4年頃、
フィリップス・コレクション、ワシントンDC、米国

子育は短気ではいけない。忍耐が要る。親が勧めても、本人に興味がなければ無駄な押し付けに終わる。だが親の想定外のときや方向に本人がやる気を出すこともある。子供の自信と成長を見守る、気長な親になりたい。

古代教会の信徒も短気だった。「再び帰る、と約束された主イエスはいつ来られるのか。」再臨が遅れるなか、短気な信仰はともするとすぐに諦め、退屈になる。神を求める心も、兄弟愛も、宣教への熱も冷めがちになる。そこで長老らは「神を待とう」と呼びかけあった。降臨節の主題だ。

しかしこの長老はもっと深い呼びかけをした。「忍耐して待とう」とは言わず、逆に「今は人間世界が変わるのを神が忍耐強く待っておられるときだ」と教えた。(2ペト3:9)

変わる。悔い改める。それは堅苦しい敬虔さを装い、我慢して待つことではない。今も待っておられる「主の忍耐」に与かり、その一部になることだ。待つことは愛すること。主は私たちを愛して待っておられる。私たちが愛の一部となって日常の人間関係でよく忍耐し、よく待ち、よく愛することを。そして相手もまた神の忍耐と愛に与かる。

人の評価と審きは終わりの日の主に委ね、私たちはただ神の忍耐と一つになって「キリストの恵みと知識において成長していく」(3:14)。なんと深い喜びか。神にご自分の命を与えられ、忍耐強く見守られ、無限に育っていく。

今は神が待つとき。人が変わるとき。神の忍耐に与かり、人間関係で愛と忍耐を実践しよう。そうすれば不思議なことに、喜びの主が「来るのを早める」ことになるのだ (3:12)。


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