「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(1テサ5:16) 有名な聖句だ。だが処世訓や助言としてだけ聞くと、神と自分の関係が消え、ただの「〇〇すべき」退屈な倫理に成り下げてしまう。
AD52年にパウロがこの手紙を送った時、テサロニケ教会は迫害に襲われ、分裂の危機にあった。それなのに、パウロは喜びと祈りと感謝を勧めた。「ハッピーなら喜び、祈る気分だから祈り、いいことあったら感謝しよう」ではない。今は辛く、耐えがたい日々が続く。だが今、神は確かにあなた方の中で働いている。そして主が来られる日、神は世界を変える。だから主イエスを見つめ、何があっても「喜び、祈り、感謝」する生き方を続けていよう、と。
アブラムとの契約で、神は「祝福の源」を約束された。そしてクリスマスで、受肉の神は私たち人間と同じ人生を生きられた。罪と死を引き受け、神の似姿としての人間を回復された。だから最後の日、神はその働きを完成される。私たちは「全く聖なる者」に「完全に守られ」「非のうちどころのない者」にされる(5:23)。人間離れすることではない。イエスさまの中で、真の人間らしい人間になるのだ。
教会は自分で始めたり辞めたりする「会」ではない。あなたを呼んだのは神だ。そして呼んだ方は誰よりも、誠実だ。約束を必ず果たす。あなたを最も人間らしい人間、神の姿を映し出す似姿にする約束を必ず完成される。
私たちが完成されるその姿、それは「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝された」主イエスさまの姿だ。
(画像: 聖マリア (大いなる聖母Great Panagia)13世紀イコン、救世主修道院、トレチャコフ美術館蔵)