読むあいだに出会う「小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのだ」 (マタ25:40)

2020/11/21

紙芝居「靴屋のマルチン」関屋友彦(文)・松村三冬(画)、基督教紙芝居協会、昭和24年発行。

トルストイはこのマタイ25章を元に「靴屋のマルチン」の原作となった「愛のあるところに神あり」の物語を書いた。「マルチン、マルチン、明日、通りを見ておれ、わしがいくから」と呼ばれたマルチンは、冷えて疲れ切った老人、冬に夏服で乳飲み子を抱える母親、そして老婆にとっ捕まえられたリンゴ泥棒の少年に出会い、それぞれを優しく丁重にもてなした。そしてその夜キリストがそれぞれの姿で現れ「あれもこれも、わしだったのだよ」と告げる。

しかしこれではあまりにも「聖人すぎて」人間味がない。「私はそんな聖人ではないからダメ」と思ってしまう。トルストイもそう思ったのだろうか。マルチンには人間らしい歴史が付け加えられている。それは妻を亡くし、希望の光だった息子をも病で亡くした絶望だった。彼は神に不平を言い、死を願い、教会もやめ、飲んだくれになった。

そのとき友人の巡礼者と魂の会話があり、自分のためだけではなく、神のために生きよ、と励まされる。福音書こそ、神のために生きる道筋を教えてくれる、と。そしてマルチンはむさぼるように福音書を読み、自分の人生をみ言葉と直結させ、そして「お客を迎える生き方」を決意していく。そして三人のお客のキリストに出会っていくのだ。

むさぼるように聖書を読んだのはいつの日だったか。今またそうする時が来た。終わりの時は既に始まった。悲しみで暗い心に、神を求める熱い心を燃やそう。真摯な心で聖書を読む時、主はあなたに会いに来られる。そして日常の小さな者の中に居たことをあなたに告げられる。


 

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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