「タラントンの譬え」St.Edith's Church, Bishop Wilton、英国 |
英語のタレント(才能)という語がここから来たので、私もこう説教しがちだ。「各自に与えられた才能をよく活用しよう」。しかしイエスさまはただの処世術を残したのか。
イエスさまには敵がいた。それはマタイ23章で痛烈に批判する律法学者とファリサイ人だ。彼らイスラエルの民は神から宝を授かっていた。律法と、神殿と、彼らを諸国民の光にするという約束(契約)だ。(創12:3) しかし彼らは神に結ばれて生きる祝福を、人々と分かち合わず、律法順守の「背負いきれない重荷」を人々に課した。(マタイ23:4) 神と生きる喜びを「地の中に隠し」たのだ。(25:25)。
しかしそれでは「主人の喜び」(25:21)に入れない。タラントは「タレント」ではない。個人が自分で磨きをかける才能ではない。神の財産は、人が神と共に生きる喜び、福音だ。神はこの祝福をどんな人にも与えたいと願われる。ともし火は升の下ではなく燭台の上に置く。(5:15) 一人一人が福音を自分に定められた人と分かち合うことで、教会は「からし種やパン種」(13:31)のように増える。つまり神さまが「もうけ」、神さまに「利息」が付く。(25:20,27) タラントンは神がその中で生きて働く、神の財産なのだ。
ただし「それぞれの力に応じて」で良いのだ。皆が凄い伝道ができるわけじゃない。家族同士ではなお難しい。ただ神は何百分、何千分の1タラントンか分からないが、確かに私たちに財産を預けられた。それを増やすために。私たちは「クリスチャンを作ら」なくて良い。神と生きる喜びを人生で、行いで、必要な時だけ言葉で、分け合うだけだ。