嘆きさえ用いられる 「惜しまずにいられるだろうか」ヨナ4:11 (A年特定20)

2020/09/18

 録音に失敗してしまいました、、、⤵︎

Jack Baumgartner 1999年,「ヨナと(瓜の)木」

「どじょう」を飼っています。息子がとってきたのを、私が世話をし、愛でています。引越しで家族会議にかけられました。「捨てるべき」と家族。「絶対一緒に行く」と私。私は勝手に嘆いて怒って「どじょう」を最優先させました。


皆さんは何に「勝手な」愛着を持ち、それが無くなれば嘆いて怒りますか? ペットは当然、景色や季節、自宅や快適な部屋、好物やお酒、愛車やスマホ、洋服・・・。


もともと神がニネベを憐れむことに対する不満と嘆きに満ちていたヨナにとって、それは猛暑の日差しに神が与えた「とうごま」の木陰でした。「ヨナの不満は消え、大いに喜んだ。」

(4:6) 勝手な喜びです。しかしすぐに神は虫に命じて木を枯らせ、熱風に命じて吹き付けさせます。ヨナは日陰を勝手に惜しんで嘆きます。「死ぬほうがまし」。


ここで神は問い返すのです。「お前は一日の木陰を惜しんで勝手に嘆いている。ではわたしはどれほどニネベの12万人と、家畜を惜しまずにいられようか。」(4:10)


神は私たちの勝手な愛着や、それが無くなることへの嘆き、不満や怒りさえ用いて、ご自分の憐れみを伝えられます。私が「どじょう」ごときに持つ愛着を通して、神は私や私の敵に対する愛着と憐みを、私に伝えられます。


ペットはもちろん、愛する人が亡くなれば尚更です。「死ぬ方がまし」な嘆きさえ、神は用います。「人間のあなたがそれほどあの人を愛したのなら、創造主であるわたしはどれほどあの人を、あなたを、あなたの敵を、この街の人々を愛しているか。すべてわたしの愛の表現だよ。」

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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