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現代イコン「シリア・フェニキア女の娘の癒し (マルコ 7:25-29)」ジュリア・スタンコバ作、2018年、40 x 53 cm |
「この犬!」と言われても諦めない。この子のためならずっと叫び続ける! そんな母の心はよく分かりますね。子供が不登校になった時期、私たちも決して諦めなかった。「ここに行きたい」と子供が言うまで、良いフリースクールを探し回った。「この子にも神は必ず祝福してくださる」と信じて。
対して分からないのはイエスさまだ。「イスラエルの羊だけ」とか「子どものパンを犬にあげられない」と言う。なぜ民族関係なく癒してくれないのか。
それは聖書の主が、一般的に人類を救う神ではなく、代表として具体的なイスラエルの民を選んで祝福し、これを用いて世界中の人々を祝福される方だからだ。それがアブラハムへの約束だ。(創12:2)
しかしこの約束を破ったのは裏切り続けたイスラエルの民だった。だから神は
愛する息子を無実の真のイスラエルの王、「ダビデの子」(マタ15:22)として遣わし、その裏切りと不信仰への「身代金」(20:28)として命を献げ、民の罪を赦したのだ。
そして新しくなったイスラエルが全世界の祝福の源となっていく、それは本来は復活後の教会の働きなのだ。だからこの母は復活後の祝福を先取りしたのだ。死に向かうイエスさまは、その死の先の復活が開く全人類への祝福を確信された。そして母の願いを聞かれた。「そうだ。あなたにも祝福のパン屑が行き渡るように、わたしは今から逝って帰ってくるのだ。」
さぁ私たちもイスラエルの王に祝福のパン屑を願おう。祝福の未来を確信して。