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イコン「憂鬱の天使」ジュリア・スタンコバ作、2013年 |
深い苦しみや悲しみは、なかなか人に言えない。だが信仰の兄弟姉妹なら言える時がある。聴き合い、慰め合い、支え合い、祈り合える時。それが教会だ。全てに勝る高価な「真珠」だ。(マタ13:45)
兄弟姉妹が聴いてくれても、それでも心の奥底で「言葉に表せないうめき」を発している時がある。人間関係のストレス、病気や障害、死別の悲しみ、他人の無理解に心が折れそうになるとき、「あれください、これください」という表面的な祈りは消え失せ、心はどん底まで突き落とされる。そして孤独に自分と、無言のままの神に向き合う時、不平にも恨みにも似たうきを心が発する。「あ゛ぁ、う゛ぅー。」
だが忘れないで欲しい。言葉にならない苦しみを抱える日々、そのときこそ神はあなたのうめきを聴いておられる。聖霊が、キリストが、あなたのうめきを引き受けて、言葉にして、父に「取り成してくださる」。(ロマ8:26,33)そして父はその祈りを必ず成就する。
神はうめいて死んでいかれた。十字架で神は、私たちのうめきを引き受け、叫びながら死んだ(マコ15:37)。だから私たちはうめく姿のまま「御子の姿に似た者」となる。(ロマ8:29) 私たちはもう逃げなくて良い。うめくキリストと一致して、復活して良い。そして「御子を長男」とする神の兄弟姉妹となる。(8:29)
「兄として願う。わたしの口となり耳となり、兄弟姉妹の弱さを語り合い、聴き合い、支え合ってくれ。」