聖クリストファー 1415-1425、Spitz Master、ゲティ美術館 |
幼子の頃、父の肩車が好きだった。祭りの群衆から頭を出して見た、大阪は枚岡の「布団神輿」を思い出す。ただ近くにいる親密さが嬉しかった。成人しても人生のピンチには父に相談し、語り合う親密さに力づけられる。
「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」この有名な聖句に何度も救われてきたが、ときに不思議になる。「イエスさまは何を根拠に休息を与えられるのか。自分も倒れるほど重い十字架を負って死んでいくのに」と。
よく読めばこの直前には、誰も土足で踏み込めない父と子の親密な関係がある。宣教に失敗し、指導者たちに拒絶されても、一瞬で喜びに溢れて父に向かう親密さだ。「天地の主なる父よ、あなたをほめたたえます。」 どんな苦しみや、失敗や、弱さも決して奪うことのできない父との親密な関係。一緒にいて、一緒に世界を見て、一緒に働いている。ただそれが嬉しい親密さ。決して一人ではないのだ。
イエスさまはこの父との親密な「くびき」の中へと、疲れて重荷を負った私たちを引き入れられる。そして父の愛してやまない「幼子」の一人になるように招く。人間的な知恵や打算や経験を捨てて、父に全く信頼し、父との親密さを喜ぶ幼子にしてくださる。
本当の休息は、疲れや重荷がなくなるだけではない。そのまま父との親密さに入ることこそ休息だ。