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「母と別れるキリスト」より、ベルンハルト・ストリゲル1520年、ベルリン国立美術館 |
家族で一人だけ洗礼を受けた私は、必要以上の壁を勝手に作ってしまっていたようだ。十字架を着け、祈りを捧げ、日曜礼拝を厳守した。だがそれでも家族は変わらず私を愛し応援してくれていた。いま思う。神は決して平和な家族をいたずらに敵対させることはない。
血の繋がった家族をキリスト者は人一倍大切にして愛すべきだ。そうでなければ、教会で信じていることを家庭では実践しない「嘘つき」になってしまう。
しかしより深いところで、信徒でない家族とは分かり合えないことがある。洗礼の水で繋がった兄弟姉妹の方が通じ合えることがある。聖歌を共に歌う喜び、聖餐の恵み、十字架を担う生き方、病や死の只中での復活の希望、そして他人への無償の愛・・・。
主は優先順位を明確にし、私たちの足もとを照らす。「時には家族と敵対する壁を感じるだろう。だがそれで良い。信じるか信じないかの境界線は剣で切られるように深い。何より先にわたしを愛して初めて、地上の家族を正しく愛することができるのだ」。
週報の絵は(聖書にはない)、十字架へと旅立つイエスさまと母マリアの別れの場面。父の救いを成し遂げるため、しがみつく母を振り解き、母への愛と戸惑いを父に委ねて出発する。そうして主は家族を「敵にして」初めて、家族を救うことができたのだ。
「敵となった」母マリアは復活後、教会の中心となった。洗礼の水こそ、血の繋がりを救う、濃い絆だ。