若くして「昇天」した同級生の奥様から彼の写真付きのお葉書が届いた。懐かしい顔に添えられた説明は「みんなのことを祈り、応援中。」 そこに天と地が結ばれた。「そうだ。天のあの人は今もこちらを向いて、心配して、祈って、働いておられる。」
イエスさまも天に昇られた。ただし主の昇天は普通の死ではない。悲しい別れではない。死の力に勝って復活し、天に昇られた。イスラエルの本当の王として即位されたのだ。これは「敵を足台とし」(詩110)、「大喜びし」(ルカ24:52)、「跪いて讃える」(フィリ2:11) 新しい時代、新しい人間の幕開けだ。
ルカ福音書はイエスが現した救いのドラマを語った。神は民の罪を背負って死に、人に赦しを与え、復活と昇天によってこの世を神の国に変え始めた、と。
しかしこのドラマには「つ、づ、く」がある。それが使徒言行録。イエスに働いた霊が、今度は天から祈られて弟子に降る。そしてイエスの手足となって神の赦しと新しい人間性を「地の果てに至るまで」伝えに行く。
そしてこのドラマの「つづく」には、私もあなたも含まれている。私たちも、世界の果ての小さな人間関係に、自分の持てる力を注ぎ、神の赦しを証しする。イエスさまの働きに「つ、づ、く。」 そのために来週、礼拝を再開する私たちに、聖霊が降るのだ。
祈って待とう。神の思いを。「あなたがわたしのつづきを行うように、わたしは今も祈っている。」