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z「悲しみの人」アンドレヤ・マンテーニャ、1500年、コートールド美術館 |
私は何度もこの言葉に救われてきた。その最初は学生の頃。生きる意味が分からず、明るく楽しそうな他の学生から浮いていた。居場所なく、寂しい夕暮れに、一人ベッドの上でこの言葉を何度も自分に読み聞かせた。「自分なんて生きている意味がない」と騒ぐ心に言い聞かせた。
「心を騒がせるな、わたしを信じなさい、あなたの場所を用意しに行く」と。最初は「そう信じられたらいいのに」という憧れだったが、言い聞かせるうちに信じるようになった。「自分の居場所がある。この世に無くても、こう言われたお方のうちにある。」あの頃、主イエスは確かに私に語りかけておられた。
あなたはどんな時、心が騒ぎ始めますか。
弟子たちにとってそれは愛する先生イエスさまがもうすぐ死ぬ、しかも自分らの裏切りによって殺される、という受け入れられない事実だった。心騒ぐ弟子に先生は言い聞かせた。「わたしが死ぬのは、あなたとわたしの居場所を作るためなのだ」と。
「心を騒がせるな。」この言葉の力の源は、こう言う主ご自身が「居場所なく」死なれたことだ。「心騒がすな」と言いつつ、ご自身は「心を騒がせられた。」(13:21) 私たちと同じ様に居場所の無さに心騒がしつつ、それでも私たちを永遠の命に導こうと、意志の強い救いの言葉を言い聞かされたのだ。
主は今もあなたに言う。「居場所はここにある」と。