隔たりはもう何もない 「覆いは離れた所に丸めてあった」ヨハネ20:7 (A年復活日)

2020/04/07




 ご遺体のお顔には覆いをかける。逝去者を安らかに守り、薄気味悪い死の世界を、生の世界を区切るためだ。イエスさまのお顔にも覆いがされた。
しかしあの朝、墓に走ったペトロとヨハネが見たのは、丁寧に丸められた覆いの布だった。マリアは「遺体は盗まれた」と言うが、墓荒らしはそんなことはしない。ヨハネはまだ復活をよく理解していなかったが信じた。(20:8-9) 主は父のみ前に昇られたと。
「モーセと同じだ。イエスさまは今や父と顔と顔を合わせておられる。十字架で死なれた顔はもう、覆いの下で薄気味悪く死んだままではない。覆いを取り、命に溢れて父の前で輝いておられる。それを知らすしるしとして覆いを丸めて置かれたのだ。」彼は復活を信じる前に、十字架による栄光を信じた。
復活日の聖餐で覆い(ベイル)が取り除かれて主の御体を頂くとき、私たちの顔からも「死の覆い」が取り除かれる。丸められて横に置かれる。そして私たちは主と共に、顔と顔を合わせて父に会い、命に輝く。信じる私たちは、死を超える神の命に輝く。
主は呼ぶ。「聖餐に残した栄光のしるしを見て信じなさい。もう病気も障害も、失敗も罪も、死も悲しみも、神と人をも隔てるものはもう何もない。覆いを丸めて横に置き、命に輝き出せ。死も命も人生も、あなたの全ては私と共に、父の御前に輝くのだ。


 

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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