それは丁度エゼキエルの枯れた骨のビジョンの様です。国は滅び、異国バビロンで捕囚にされ、故郷に帰る希望は絶え、人々は死んでいく。「我々の骨は枯れ、望みはうせ、我々は滅びる」(エゼ37:11)
私たち個人も病気や死、悲しみや暗さに苦しみます。教会共同体も、時に宣教活動に虚しく疲れ、喜び失せ、骨の髄まで枯れ果てたように感じます。
しかし主はエゼキエルに何度も何度も命じます。生きながら死んでいる枯れた骨に「預言しろ、語りかけよ、霊を吹き込め、知らせよ。」そうすると枯れた骨は不思議な音を立てて集まり、筋や肉や皮膚が芽生え、最後に命の霊が吹き込まれて復活します。
主イエスさまはこの神の語りかける「言」です。主はマルタとマリアや弟子たちに、何度も何度も死を超える命を語ります。そして主ご自身が「枯れた骨」として渇いて死に、復活されました。主はその生涯全体で私たちに語りかけた、命の言葉なのです。
神は死んだ私たちに語りかけ、復活させます。死後も、今も。それは私たちも大切な人に語りかけるためです。「あなたは神に愛されている。神は必ずあなたを復活させる。だから一緒に、生きていこう。」