「わたしが飲まない限りこの杯は去らない」マタ26:42
この受難物語のどこかに必ずいる。私も、あなたも。
愛する先生が必死に祈る時に、眠ってしまう私。
「友よ」と呼んでくれる先生に、キスで裏切る私。
神の非暴力を分からず、剣の力に訴える私。
偽証をしても都合の悪い人を消そうとする私。
「わたしは神だ」と言った先生を冒涜に感じる私。
神が人となってきたら、邪魔で殺したくなる私。
弟子なのに、先生を見捨てて逃げる私たち。
それでもトボトボ遠くからついていく私。
女中に聞かれて「そんな人知らない」という私。
先生が予言した自分の裏切りに、激しく泣く私。
裏切りの銀貨を返せずに、絶望する私。
この世の権力で、神の権力者を問い詰める私。
真の王よりバラバを求める私。
神の子ご自身に死刑を求める私。
神の子を鞭打つほどの攻撃性を持つ私。
無力な王を「王様、万歳」」と馬鹿にする私。
なぜか主の十字架を「無理に担がされた」私。
神の手足を十字架の木材に打ち付けた私。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」
こうして神の子は私たちの悪と絶望と死をご自分のものとされ、自ら絶望して死なれた。
こうして神の子は私たちの悪と絶望と死をご自分のものとされ、自ら絶望して死なれた。
これを見て「この人こそ神の子だ」と知る私たち。
父がそれを証明される朝を待つ。復活の朝を。