「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬ」ローマ14:8 (A年特定19)  

2014/09/14

「それでお前、なんのために生きてるんか、分かったんか。」久しぶりに共にビールを飲み干す幼馴染みに単刀直入に聞かれました。彼は高校卒業後、頑張って身を立てようにもなかなか思い通りにいかず、借金苦を乗り越え、やっと整体師として手に職を付けたところです。
 今週はまた、世界自殺予防週間です。世間には「何のために生きているのか」分からず、死にたい程に苦しい人がいる。その人達にとって、生きる意味とは、かけがえのない宝となります。
 「苦労が無くなることはないけど」と前置きして私も出来るだけ真摯に答えました。「もう何のために生きてるのかを問う必要なくなったんや。だって、もう既に自分が捉えられたから。神とか仏とか幸せとかいう存在そのものに。」彼は少し戸惑った後に「深いな、、、」とつぶやきました。
 今日の御言葉こそキリスト者の幸せを表します。生きる意味が与えられている。主のために生き、主のために死ぬ。生まれてから死ぬまでの全瞬間を私たちは主人、イエス様のために生きることがゆるされている。
 私たちは人間関係をも主のために生きます。人は皆、主に赦された罪人同士。イエス様は私の罪をも、憎いあの敵の罪をも引き受けて死なれた。だから主のために人を赦す生き方を選ぶ。悔い改める人に対して何回赦すべきか、という限度は私個人の基準で、主イエスの内に赦しの限度はない。赦しの主、この人のために生きることこそ私たちの幸せであり、生きる意味です。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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