牧師は話す機会が多く、恥ずかしながら聴き下手になりがちです。人の声も神の声も聴かない牧師にはなりたくありません。
聞き下手を実感したのは、死にたい人に聴く電話ボランテイィアの研修ででした。通話を録音し、専門的な第三者と一緒に聞き直す中で、自分がどれだけ相手の気持ちに聴けていないかかが露呈されます。どこかで「死んでほしくない」という恐怖や、「この人はこういうタイプだ」という思い込みに支配され、相手の思いを素直に「そうか、死にたいんですね」と聴き取れないのです。人の思いを聴けないのは身近な家族関係でもよく起こります。そして聖書や説教から神の声に聴こうとするときにもよく起こります。色んな感情や自我が邪魔します。
だからこそ私たちは主イエスに触れて頂く必要があります。「エッファタ、開け」と魂の耳を開いて頂き、人の思いと神の思いを聴けるように。「私を愛して欲しい」という身近な人の思い、そして「私はあなたを愛している」という神の大切な思いに聴くために。人の耳が開かれるために、主の墓穴は開かれ、命が新しく創造されたのです。