喜びという自分らしさ 「しかし、わたしは主にあって喜ぶ」ハバクク3:18 (A年顕現後第五主日)

2020/02/07





 主イエスは教えられた。「あなたたちは地の塩だ。あなたたちが他の存在に塩味をつける。逆ではない。塩気を失えば自分ではなくなる。塩気を保て」と。 (マタイ5:13) 神の民の自分らしさとは、何か。
 それは「喜び」、紀元前7世紀の預言者ハバククは言った。ただしこの「喜び」は順風な人生の充実感でも、平和な社会の幸福感でもない。時代はバビロニアの王ネブカドネザルによる戦争と虐殺と捕囚の時代。神の都エルサレムも攻め込まれ、国は今にも滅びそう。それも民の罪に対する主の審きの「御業だ」と信じた。(3:2)
 花も実も、収穫も食物も失い、羊も牛の命も絶えた(17)。「しかし」だ。「しかし、わたし主によって喜び、わが救いの神のゆえに喜ぶ。」(18) 喜びの塩気はこの世のどんな存在をもその源としない。この世を超えた自分らしさの根源、つまり神に由来する喜びだ。「神に従う人は信仰によって生きる」(2:4) 
 ハバククは神殿で聖歌を捧げる中で、この不思議な喜びを知った。(3:1,19) 神を信じて捧げる礼拝は喜びという自分らしさを人に与えて、人を変える。
 主イエスさまは、裏切られて殺される前夜、弟子らと感謝の晩餐を捧げ、歌って礼拝した。死に四方を囲まれても、絶望の淵にあっても、父の御心を信じた御子は、この世を超える不思議な喜びを失わなかった。これが愛する父の御心なら自分は喜ぶ。この喜びを失うなら、自分は自分を失うのだから。
 苦しいからといって喜びを失うわけではない。イエスと共に父に歌うことこそ、喜びという自分らしさだ。

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 受肉 イエス 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受肉、似姿 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ