あきらめないで --「自分で判断する力をお与えになった」シラ書15:11 (A年顕現後第六主日)

2020/02/14




「アダムの創造」12世紀、モンレアーレ主教座聖堂ビザンティンモザイク、シチリア、イタリア
あきらめないで
「自分で判断する力をお与えになった」シラ書15:11

「人はみな罪人で、十字架で赦される。」これは確かに真実だ。だがシラ書は言う。「主は…罪を犯すことを許されたことはない。」これもまた真実だ。
シラは紀元前190年頃、世に蔓延するギリシャ文化の中で、ヘブライ信仰を証した。ギリシャ文化の特徴はその運命論的な態度だ。運命の女神に人間は悲劇的に管理されている。人ができるのはその運命に合わせて、賢く諦めて、生きることだ、と。
信仰もこの運命論に感染する。「私はどうせ罪人なのだから罪を犯してもしょうがない。」一番厄介なのはクリスチャンが、許されるべきではない罪を、自分勝手に「主によって赦された」と勘違いすること。人を傷つけ、自分を傷つけ、神も人も愛さない罪を主は決して望んでいない。命じていない。許していない。主はあなたに罪を止め、愛の生活を始めて欲しい。主の十字架と復活は新しい生活のためだ。
主は人を造るとき、管理すべきロボットのようではなく「自分で判断する力」と「意志」をその心に植え付けられた。(シラ15:14-15) つまり「神の似姿」だ。(1:26) この輝きを回復するため神は人間イエスとなり、自分の願いよりも父の御心を選び取られた。それは聖霊によって主の「判断力と意志」に結ばれ、私たちもまた御心を判断し選び取るためだ。 
生きる辛さを「委ねる」とは、消極的に運命に任せる「諦め」ではない。イエスのように、父の杯を自分で判断し、自分の意志で愛し、選び取る態度だ。選び取る心こそ輝くわたしの似姿。だから、諦めないで。


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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