「ガリラヤ」…。この言葉をマルコ福音書に聞いた時、福音記者マタイの心の鍵は解かれ。喜びに満ち溢れた。意味が分からないまま覚えたイザヤ書の言葉が、今ここに実現した、と。
B.C.733年頃にイザヤ本人が書いたのは、アッシリア帝国によって踏みにじられ、殺され、捕らえられたゼブルンとナフタリの地でした。以来「異邦人のガリラヤ(辺境の地)」と呼ばれ、軽蔑され、差別されてきた土地。平和の王はしかし、華やかな都ではなく、この「暗闇と死の陰」にへたりこむ民のところに来る。そして平和の光で照らす、と預言されていたのだ。
この言葉が今、実現した。ガリラヤの死の陰にメシアは住み、ガリラヤ湖の無学な漁師を呼び出し、ガリラヤで復活後に再会して、そこから世界の果てまで宣教に派遣された。神の光は、力と自信に溢れた者ではなく、力も純粋さも失い馬鹿にされた「死の陰の地」に座り込む人を照らす。そして神の民に選び出される。
聖書、説教、分かち合い。神の言葉はすぐには分からない。だから記憶しておこう。その時が来ればその言葉があなたに実現する。「ガリラヤ」のようにあなたの生活の言葉が心の鍵を解き、神の光が輝く。言葉が神となる瞬間だ。
神の言葉は実現する。あなたのガリラヤに。