自分らしさの降臨 「わたしは主のもの」イザヤ44.5 (聖霊降臨主日)

2018/05/20


   主なる神を捨てた罰としてバビロニア帝国の捕虜となった民に、ついに解放が近づいた。そのとき預言者は未来を見た。それは様々な人々が、民族の壁を超えて同じ主を自分の神とし、「わたしは主のもの」と喜び告白する姿だ。
 これは実は、ユダヤ民族の父アブラハムに、主が与えた約束だ。「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」(創12.3)そして初代教会への聖霊の降臨が、この約束の成就だ。
 聖霊が降ると人は、主なる神を自分らしさの根源として受け容れ、自分が主に帰属し、所有され、どんな状況でも「わたしは主のもの」である安心を喜ぶ。この自分らしさが「自分の故郷の言葉で」神を聞き取ることだ。神のものになればなるほど、人は自分らしくなる。
 だからキリシタンは、たとえ殉教しても、この自分らしさを証し続けた。そしてその証しを見た者は、今度はそれぞれの自分らしさの根源として、主と結ばれていったのだ。
 宣教は人を改宗させることではない。相手がより自分らしくなるために、主による私の自分らしさを証しすることだ。それは主イエスさまと共に死んだ自分が、赦しの命に生かされた、心の芯まで謙虚な「自分らしさ」だ。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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