そのときの肉体 -- 「鹿のように踊り上がる」イザヤ35:6 (A年降臨節第三主日)

2019/12/11



そのときの肉体

「鹿のように踊り上がる」イザヤ35:6 (降臨節第三主日)


 神ご自身がこの世に来る終わりのとき、「そのとき、歩けなかった人が鹿のように踊り上がる。」
 美しい癒しの奇跡だ。生きる現実は厳しい。病気、障がい、老い、、、。例えば、普通に歩くのも無理な人は「この足はもうダメ。何も良いことはない。もうこのままだ」と絶望して当然だ。そんな人に「祈れば治る」とは言えない。逆に「なぜこの人がこんな辛い病気に」と神に訴える。
 しかし、そんな人の足が創造主の命にみなぎり、野生の鹿のように跳び上がる。そして生きている喜びを肉体で賛美する。そんな日が来る、とイザヤは約束し、そんな日は既に「この世に来た、わたしの内で既に始まっている」と主イエスは言う。
「行って見聞きしていることをヨハネに伝えよ。」(マタイ11:4) そして「弱った手に力を込め、よろめく膝を強くし」喜び歌え、と(イザヤ25:3)。
 創造主の喜びは人の癒しだ。笑顔が咲く輝きだ。そのために主は自ら人間の肉体を受け、この世を私たちと同じように生き、私たちのすべての苦しみを、罪と罰と共に担って死なれた。そして復活した。「歩けない足が鹿のように躍り上がった」。神の受肉は、復活する肉体の喜びの始まりだ。

 この世で足は「歩けない」ままかもしれない。しかし救いは既にイエスさまで始まった。だから「鹿のように踊り上がる」喜びの日を待とう。イエスさまも感じたこの肉体で、主を賛美する日を。

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 受肉 イエス 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受肉、似姿 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ