神さまの親指 --「すべての顔から涙をぬぐう」イザヤ25.8 (C年復活日)

2018/04/01

   涙をぬぐってもらったのはいつの日だろう。それは親との遠い幼い日だろう。大人の涙は自分でぬぐうもの。死別の悲しみに涙する人を慰めたくとも、親密にその顔に触れる権利はない。  しかし私たちが復活する朝は神ご自身、イエスさまご自身が「すべての顔から涙をぬぐう。」我が子の涙をぬぐう親のように親指でぬぐう。  弟子たち変えた「復活の主を見た」体験は、涙をぬぐわれるような親密で肉体的な体験だった。愛する先生を裏切った罪とその死を嘆く涙は、復活の主との出会いによってぬぐわれた。  イエスさまは死別の涙を根源からぬぐうため罪と死を「飲み込まれた。」(イザヤ25.8、1コリ15.54) それでも復活し今も生きている。十字架の暗闇で泣きながら死に、父に涙をぬぐってもらって復活した。このお方は、自ら死の悲しみを知るからこそ、死別の涙をぬぐい得る。  イザヤが夢見た外国に対する国の再興は、イエスの復活の内に、死に対する神の国の勝利として成就した。終わりの日、世界は神で満ち溢れ、死と罪は命に追い出される。そして復活のイエスさまは、死の力に涙する人に現れ、優しく静かに涙をぬぐってくださる。神の親指で。  陪餐の姿勢は主に涙をぬぐってもらう姿勢。さぁ、命溢れる復活の主に触れていただこう。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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