行いの着替え
闇の行いを脱ぎ捨てて(ローマ13:12)
山登りとなると、父は夜明け前に着替えて、幼い私らを叩き起こした。
パウロはそんな着替えのイメージで語る。愛する主イエスに再会する喜びの朝は近づいた。だから「闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身につけよ。」(ロマ13:12) 朝が来るから、行いも着替えよ、と。
「闇の行い」は十戒の「姦淫、殺人、盗み、むさぼり」にパウロが付け足す「泥酔、好色、争いと妬み」。(13:9,13) 元来良いはずの本能が創造主の愛に逆らう「悪い肉の欲望」になる。(14)この悪を断つ。信仰は日常の行いで表して「なんぼ」だ。
なのに私は悪欲に弱い。創造主からすぐ離れる。殺人や盗みはせずとも、一人になればストレスと疲れから酒に逃げ、性欲に支配され、過食する。体の本能は元来は良いものなのに、その満足を「むさぼり」始めると神をも忘れる悪欲と化す。それは心の「争いと妬み」も同じ。神を忘れ、愛を忘れ、自分の都合と満足をむさぼる悪欲に支配される。
「闇の行いを脱ぎ捨てる」事は不可能に思える。自分はダメだ、できない、と。しかし光の主イエスを身にまとえば、できる。十字架を着け、十字を切り、陪餐を受け、祈り、自分より自分に近く主イエスを着れば、変わる。昇りつつある太陽は、既に世界とあなたの全てを染め始めたのだから。
「さぁ闇を脱いでわたしを着なさい。わたしの愛を実践し、わたしを近い人に表しておくれ。」