だが主イエスに現れた「神の本質」は、肉体の苦しみなど素知らぬ顔で高い天に座す存在ではない。神は人間の体を持った。神は、弱い赤ちゃんの体で生まれ、両親と食事をして成長し、弟子たちと寝食を共にし、旅をし、人々に語り、癒し、その罪を体にかぶって死んだ。父はその体を復活させ、傷つき癒された体は今、天の父と共にある。
私たち人間の体はいまや天にあり、天の神はいまや人間の体に「その本質を完全に現される。」愛する民に仕えてイエスは体を捧げ、その体の内に神は自らを現された。だから悩み苦しみ多いこの私たちの体には、ただ悪い症状だけでなく、神の愛と誠実が現れる。体を通して、神が現れる。
奇跡的な病気の癒しはもちろん、癒されなくとも愛の神は体で現れる。苦しみの中でも人が体で愛を表すとき、誰かのために働くとき、優しい言葉をかけるとき、微笑むとき、祈り歌ってあげるとき、ただ隣に座ってあげるとき、思いを「うんうん」と聞いてあげるとき、神の本質である愛が現れる。飼い葉桶の赤ちゃんの体が現したように。
「取って食べなさい、これはあなたのために与える私の体だ。」神はその体であなたを養い、あなたを神の体とし、ご自分を表す道具となさる。