証しとは、教会用語で信者が自分の信仰生活を語ることです。出会いや別れ、失敗や反省、そして祝福を主に感謝し賛美するのが定石ですね。
ですがルカ福音書が書かれた時代の「証し」は「死ぬ」ことでした。最初のクリスチャンは国家とユダヤ教から嫌われ、追われ、逮捕され、棄教を迫られました。しかし彼らは主の復活を否定せず、逆にそれを「証しをする機会」としました。死の痛みと恐怖に負けずに信仰を告白し、「忍耐によって命を勝ち取った」のです。(21:19)
この機会は殉教者自身に対しても「証し」となりました。つまりキリストが現れたのです。「わたしが言葉と知恵をあなたがたに授ける。」主が共にいて、彼らを支えたのです。(21:15)
そしてこの衝撃的な殉教を見た人々に信仰が広まりました。他の人々に対しても、キリストは殉教を通して、ご自身を「証し」されたのです。
現代日本で迫害は皆無ですが証しとなる機会はあります。それは幸せで祝福された日よりも、殉教者たちの様に、この世的には失敗と不幸せと死の中でキリストに頼り、結びつく日です。その日キリストは、あなたにご自身の「口と言葉」を与え、ご自身の存在の証しをし、現れてくださいます。
病い、別れ、老いと死、失敗、、、。主に頼るなら、幸せでなく苦しい日々でも、主がご自分を証しする日となります。あなたにその日はいつですか。