聖人?
「富んでいるあなたがたは不幸である」(ルカ6:24)
初代教会はキリストを信じた者を皆、聖なる者、聖人、聖徒と呼んだ。逝去者も信徒も、罪人でありつつ聖人であり、キリストの体に結ばれている。
聖人とは誰か。禁欲と努力で徳を表した人、、、。そうも言える。だがルカ福音書のイエスは「貧しい人々、今飢えている人々、今泣いている人々」こそ聖人だとして祝福する。「神の支配はあなたがたのもの」。(6:20)良い意味で神は不平等だ。貧しく、病気で、弱くされ、自分の力では生きられず、神に力を乞い願うしかない人を祝福される。逝去者が聖人であるのは、この「貧しい」側面のゆえだ。
だが逆に「富んでいて、今満腹し、今笑い、人に褒められる人は、不幸だ」とキリストは呪いを置く。なんと受け入れ難い言葉か。これは「今の幸せに罪悪感を抱け」ではない。恵みは感謝して受け取るもの。そうではない。神は嘆き願っておられるのだ。「今地上で貧しい人、腹が減る人、辛くて泣く人、彼らの内にわたしはいて祝福し、働いている。わたしを無視せず、一緒に働いてくれ」。
死の向こう側から、諸聖徒と共に、主は招かれる。「死ぬ時、あなたは財産を持ってこちらに来ることはできない。貧しい物乞いのように、復活の主であるわたしに寄り頼んで来るしかない。ならばこの世の財産は、わたしの心に沿うように使ってから来なさい。無理せず、現実的に、少しずつで良い。貧しい人と分かち合ってから、来なさい。」