この身体「この身をもって、わたしは神を仰ぎ見る」ヨブ19 :26 (C年特定27)

2019/11/10

この身体     
「この身をもって、わたしは神を仰ぎ見る」  (ヨブ19 :26)
 ♪ハーレ・ル・ヤ♪で有名な「メサイア」はこの聖句を「キリストの勝利」として歌う。教会はここに復活の預言を聞く。復活のキリストは私たちを復活させ、その喜びは身体に満ち溢れる、と。
 しかしバビロン捕囚期に、人間の苦しみについて書いたヨブ記の著者には、復活信仰はなかった。だから「わたしを贖う方は生きておられる」とは「わたしの代理者が、天の法廷にいる神に自分の理由なき苦しみを、今すぐ訴えて出てくれる」だ。
 そして「この皮膚が損なわれても、この身をもってわたしは神を仰ぎ見る」は死後への希望ではない。死ぬ前に、この身体で神を見ることを信じている。重い皮膚病で全身を掻きむしって苦しみ、全ての皮膚を失っても、それでもヨブはその下のこの身、この肉をもって神を見る希望を捨てない。
 「この肉を離れて神を見る」という身体からの離脱は誤訳だ。ヨブは死後の世界に逃げない。彼は自分が生きる今この身体こそ、神が与えた似姿であり、神を見る場所だと信じて疑わなかった。イエスさまも自分の身体への希望を捨てなかった。
 主イエスは宣言された。「神は死んだ者の神ではなくも生きている者の神だ」(ルカ20:38)神は遠い死後の世界に興味はない。神がイエスの復活によって新たに活かすのは、今生きているあなたとわたし、この身体の命だ。どこか遠い存在ではない。生きる喜びをひしひしと感じるこの身体だ。


このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 イエス 受肉 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ