へりくだり
「もっと上席に進んでください」(ルカ14:9) 特定17
結局自分の利益のため?この席順の譬えはそう聞こえます。初めに下座に着いて「もっと上座に」と言われれば得するが、上座に着いて「譲ってくれ」と言われたら損をする。だから自分の利益のために下座に着き、謙遜になれと。
違います。譬えの後半では、宴会を催す時は、何の利益も報いも「お返し」できない人を招け、とイエスは教えます。(ルカ14:12)報いが全くないこと、それが逆説的に「幸いだ」と(14:14)。
本当の謙遜は自分が得するためではありません。神が得するためです。シラ書は教えます。「高慢の初めは主から離れる事。」(10:12)主から離れた自分は利益を求めます。そんな自分を捨てて、主の近くに留まり、忠実に神に用いられ続ける。それは徹底して自我が卑しめられ、低められ、屈辱され、自分を与え尽くす姿勢です。
これがイエス様の「へりくだり」です。「へりくだって死に至るまで、十字架の死に至るまで従順であったため、神は高く上げられた…。」(フィリ2:8-9)確かに復活の恵みは与えられました。しかし恵みとは本来、求めて獲得する利益ではなく、自分を与え尽くす中で起こる奇跡です。与えて失ったはずの自分が、神の異次元で豊かに生かされている不思議、神秘なのです。