
わたしはコミュニオン
「栄光ある三位一体」(三位一体主日特祷)
正教会の神学者ジジウラスはこう教える。「私は私だけで存在している、と考えるのは幻想だ。人格は誰かとの関係で初めて起こる。なぜなら神ご自身が三位一体の関係、コミュニオン、交わりで、私たちはその神の似姿なのだから。」
三位一体の「位(い)」は三つの「位格、人格、主体、そかけがえのない自分らしさ」だ。誇張表現だが「唯一の神を信じる」だけでは成熟したキリスト信仰ではない。イエスさまが現す神は「三者の団欒」だ。イエスさまが慕い求めた「父」、父に愛し抜かれた「子」ご自身、そして信じる一人一人の内に働いて信仰者を「子」に結びつけるて「父」に向かわせる「聖霊」だ。
表紙のイコンがそれを表す。私は神と一体一で対面するだけではない。父と子と聖霊の聖卓の交わりに私は招かれる。どんなに孤独な私も、失敗を背負う私も、聖霊によって神の団欒に入り、救われ、愛と喜びの関係に変えられていく。誰かを愛し愛される関係に生きる、最も人間らしい人間、自分らしい自分、神の似姿に。
孤独な自分は罪による幻想だ。神も私も、本当は愛の関係そのもの。その交わりを教会はコミュニオン(聖餐)と呼ぶ。聖なる食卓が私達を本当の姿、神の姿に戻す。それは愛の関係だ。