祝福の相続
「アブラハムの子孫、約束による相続人です。」(ガラ3:29)
祖父は大阪で町工場をはじめ、多くの子や孫が出た。だから一族は皆、彼を族長として慕い、相続した仕事と、心と、絆とを大切にしてきた。
同様に、聖書の救いも相続するものだ。人は一人では救われず、神は人を家族として救う。それが太古から続く神の民イスラエル、アブラハムの子孫だ。パウロによると、救いはアブラハムの子孫となり、神の子らの祝福に与る事だ。
ペトロはイエスを「メシア」と信じた。メシアは、油で聖別されたイスラエルの民の代表だ。捕囚以後の民の呪いを取り除き、諸国民をアブラハムの子孫にするために遣わされた者だ。
ゼカリヤはこの希望を予言した。掟を破る民は「自らが刺し貫いたわたしを見つめる。」(12:9)それは民の代表として十字架で呪いを受けたイエスさまだ。自分の命さえ与える「十字架に至るまでの忠実」。受洗者はこの忠実を着て罪が赦され、アブラハムの子孫、神の養子となる。
私たちはメシアの忠実により救いと、そして使命を相続した。それは私たちも神の民として、メシアに結ばれて忠実を尽くし、地上のどんな人もアブラハムの子孫となるように働く事だ。
アブラハムの祝福を相続させてもらった「信仰の創始者」メシアを慕い、その後に続こう。