自己決定
「わたしがあなたに何をしたと言うのか。」王上19:20
こう言ってエリヤは後継に選んだ弟子エリシャに自己決定を迫る。「自分で選び取れ」と。
私の恩師も私に命じたのは「今、神学校へ行け」だけだ。「あれしろこれしろ」と言わない。あとはただご自分が、この世の嵐に苛まされながらも主を選び続ける姿を見せてくださる。そしてそれを見て、私自身も同じ主を選び続ける。
聖霊が働いても人は「自動運転」にはならない。一瞬一瞬、自分の感性と知性と決心で、神を選び取る。だから間違いも失敗もする。それでも来る朝ごとに聖霊は私たちをより自分らしく、より人間らしい「新しい人」に変えていく。
この自己決定をパウロは「キリストが与える自由」と呼ぶ(ガラ5:1)。聖霊は9つの実りを٥٢ぶ。「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(5:22)。それはそれは丸いい人格だ。
ただこの丸さは自動的に与えられず、自分で選び取るもの。キリスト者はこの世的な「肉を、欲情や欲望もろとも十字架につけて」聖霊に従い進む。(5:24-5) 一歩一歩選ぶしかないのだ。
「枕する所もない」主イエスの十字架の道は、父への忠実を死に至るまで選んだ道。主と共に、私たちも父への忠実を選び取ろう。100%聖霊の力によって、同時に100%自分の自己決定で。