一目会いたい
「今、この目であなたを仰ぎ見ます」(ヨブ42:5)
一目会いたい。そうすればすぐ分かる。あの方が私をどう思っておられるのか、、、。そんな恋い焦がれる思いでヨブやトマスは神に直接会うことを願った。私たちもそう願って良い。
財産を失い、子供が死に、病に伏せるヨブを友人はこぞって責め立てた。「お前が悪いからだ。」現代の差別も障害の原因を本人や家族に着せる。しかしヨブは人の差別に負けず、神ご自身から苦しみの意味を聞くことを願った。「あなたは私を愛さず、罰っしておられるのか。」
トマスが疑ったのは冷めていたからではない。主を熱く求めていたからだ。「主は復活した」信仰を、ただ言葉上で「鵜呑み」にせず、自分の経験として主と出会うことを求めた。だからこそ主に出会ったトマスは、誰よりも深くその意味を理解し「私の神よ」と告白できた。真摯に疑った者にのみ、真の理解は喜びをもたらす。
悲願が成就して生ける神と出会うと、問いを遥かに超えた答え、神の愛を見る。ヨブが見たのは、自分の苦しみを引き受けていた神の深いみ心、経綸だった。トマスが見たのは、疑う自分の罪を被って死んでくれた神の傷跡だった。
深い神の愛を知り自我は悔い入る。あぁ私の心に比べ、あなたの愛はなんと深かったのか。