約束したじゃないか
「復活する、、、と言われたではないか」(ルカ24:7) 復活日
私たち夫婦は息子をヨナと名付けた。魚に飲まれたが生還し「復活のしるし」と呼ばれた人の名に願いを込めて。 「人生のどんな絶望に飲まれても、主に復活させてもらえますように。」
当時の私は病気で休職中だった。だから妻が苦しみ産んでくれた命は、病気を抱えながら働く私の「燃えるともし火」となった。復活の主は、身近な命の中から、私たちに働きかけられる。
復活の命はどんな墓石でも抑えきれない。私たちの身近な日常に泉のように溢れ出す。病気の回復、怪我のリハビリ、生活の復旧復興、傷つけた人間関係の癒し、罪の赦し、愛の再燃、信仰のリバイバル、暗い心が明るい笑顔になる奇跡、そして最後に死後の新しい命への復活だ。
すべての小さな復活の背後に、復活の主イエスさまがおられる。この世で経験する数々の小さな復活は、人を彼に導くために神がしるす道しるべだ。「わたしの復活の命はこっちだ」と。
復活は死後だけではない。主は今ここに生きていて、絶望しがちな私たちの心を、愛の一喝で奮い立たせられる。「復活するって言ったじゃないか。約束したじゃないか。わたしの復活から人生を見つめておくれ。わたしは今、あなたの命の中で、生きて燃えているじゃないか。」