主人の願い
「ぶどう園の収穫を納めさせるために」ルカ20:10
献堂80年の礼拝堂で私たちは本当に豊かな祝福を受けている。その一方でどれだけ私たちはその祝福を、ただ受けるだけでなく、人に分け与え、神への収穫として捧げているだろうか。
「放蕩息子」と同じく「ぶどう園と農夫」の譬えでも中心は父なる主人の思いだ。主人はぶどう園を愛し、農夫らを信頼し、収穫を待つ。しかし農夫らは収穫を分け与えず自分のものにする。強欲を選ぶ。そして次々と使いの者を殺し、「私の独り子なら」という主人の最後の信頼をも踏みにじり息子を殺す。怒った主人は農夫らを殺し、他の農夫に管理させる。そうでもして主人は収穫の目的を必ず全うされるのだ。
主人は神、私たちは農夫、ぶどう園は神の民、息子はキリストだ。父なる神の目的は、アブラムへの約束を必ず果たし、信徒一人一人を通して、あらゆる地上の氏族を祝福に入らせることだ。ぶどう園を委ねられた私たち農夫には、主人の願いを果たす使命がある。受けるだけではなく、祝福を人と分かち合う感謝の使命が。
神の農夫としての私たちに復活のキリストが呼びける。「さぁ与える人になろう、わたしと共に。父の願いは、あなたが祝福を分け与える人になること。それこそ神への収穫、だ。