「自分の顔の肌が光を放っている」
出エジプト記 34:29 (C年大斎節前主日)
聖餐式(ユーカリスト)で信徒の顔は光を放つ。み前に静まる顔は、ゆっくり歌い始め、聞いて祈り、平和を交わし、御聖体を見つめて食し、の微笑となる。退堂の聖歌ではそれぞれの顔が輝く。
イエスさまの顔が輝いたのは、この様な微笑の、その無限倍の輝きだったのではないか。主が父とモーセと語り合ったのは、人間の命を回復するための「第二の出エジプト」。磔刑で殺され、復活していく道。この道を主が、ただ父を愛し父に愛されていることを頼りに受け入れた瞬間、の微笑が輝いた。神の栄光とは、愛し合うときにこそ最も輝く微笑だ。
モーセの顔も輝いた。主と語り合う中で「自分の顔の肌が光を放った。」それは復活のキリストに生きる私たちも神と語り合い、神と歌い合う中で、微笑が輝く可能性を示している。
ニュッサの主教グレゴリーは教えた。「復活のキリストは破壊された人間性を回復し、私たちをモーセのように全てを超える光で輝かす。」(モーセの生涯 217)私たちは決して暗い罪人で終わらない。微笑に輝く愛の人に変わるのだ。
十戒と愛を実践し、主を見つめ続ける時、神はあなたを照らす。そしてあなたの顔と心は光を放つ。ちょうど太陽に照らされた月のように。