
ここにいてよかった
「わたしは、ある、という者だ」(出エジプト3:14)
噂好きは私たちの罪だ。自分の存在を横に置き、他人を価値判断して楽しむ。イエスさまは戒めた。「あなたも悔い改めなければ滅びる」(ルカ13:5) 信仰は他人事ではなく自分事。自分の存在が生きるか死ぬか、愛が「あるかないか」だ。
それが「わたしはある」とモーセに現れた「存在」としての神だ。無から生を有らしめ、死から復活を起こし、人の存在意義を有らしめ、滅びを救い、圧迫された民を自由な存在へ導く。
簡単に言えば「ここにいてよかった」という存在感の根源だ。子供や孫の成長を楽しむ瞬間、家族団欒の食卓、一人静かに平安に坐る瞬間、礼拝で愛を感じる瞬間、本や映画や音楽に涙する瞬間、自然に春を感じる瞬間、天国の人を感じる瞬間、、、「わたしはある」の神はご自身の自由な存在をあなたに感じさせてくださる。
だから主は、エジプトで存在が圧迫されて「ここにいなければよかった」と苦しむ民を無視せず、歴史に介入して脱出させられた。同じ「存在の主」は、私たちの存在が罪と死に圧迫されるのを無視せず、イエスさまの過越によって、死の支配から復活の命の支配へと導かれた。
「あなたはここにいてよい。」主はあなたにそう言う。だから今日、立ち帰ろう。存在の主に。