心
「心は何にもましてとらえ難く病んでいる」
(エレ17:9)
聖職のドッグカラーは神に手綱を握られている象徴だ。凶暴な本能がしっかり握られて初めて、安心して主人と出かけて働くことができる。
エレミヤ17章も詩篇第一編も諭す。祝福は主に頼ること、呪いは自分を頼ること。「荒地の裸の木」ではなく、 豊かに実る「水のほとりに植えられた木」になれ。主への信頼を選べ、と。
イエスさまが「貧しい人は幸いだ」(ルカ6:20)と教えたのは「貧乏になれ」ではない。「物乞いのように神に頼るあなたをこそ、わたしは愛している」だ。孤独、離婚、いじめ、障がい、老い、病気、差別、蔑み。辛い状況から主を頼る人の象徴が「貧しい人」だ。そして「あなたも、弱い人の強い信頼に倣い、わたしに頼れ」と。
だが主を頼るのが正しいと分かっているのに、そうできない人の心だ。罪だ。「心は何にもましてとらえ難く病んでいる。」(17:9)イエスさまは弟子が裏切ることを知っていた。だから復活後のペトロのために祈られた。自分の心は自分でも完璧に従わせられない。だからこそ「心を探り、はらわたを究め」て下さる神に心を委ねる。「み心がなるように」。それも信頼だ。
首輪で導いて主は私たちの心を連れていって下さる。自分の力では決して見られない景色を。