心 --「心は何にもましてとらえ難く病んでいる」エレミヤ17:9 (C年顕現後第六主日)

2019/02/17



心 

「心は何にもましてとらえ難く病んでいる」

(エレ17:9)

 聖職のドッグカラーは神に手綱を握られている象徴だ。凶暴な本能がしっかり握られて初めて、安心して主人と出かけて働くことができる。
 エレミヤ17章も詩篇第一編も諭す。祝福は主に頼ること、呪いは自分を頼ること。「荒地の裸の木」ではなく、 豊かに実る「水のほとりに植えられた木」になれ。主への信頼を選べ、と。
 イエスさまが「貧しい人は幸いだ」(ルカ6:20)と教えたのは「貧乏になれ」ではない。「物乞いのように神に頼るあなたをこそ、わたしは愛している」だ。孤独、離婚、いじめ、障がい、老い、病気、差別、蔑み。辛い状況から主を頼る人の象徴が「貧しい人」だ。そして「あなたも、弱い人の強い信頼に倣い、わたしに頼れ」と。
 だが主を頼るのが正しいと分かっているのに、そうできない人の心だ。罪だ。「心は何にもましてとらえ難く病んでいる。」(17:9)イエスさまは弟子が裏切ることを知っていた。だから復活後のペトロのために祈られた。自分の心は自分でも完璧に従わせられない。だからこそ「心を探り、はらわたを究め」て下さる神に心を委ねる。「み心がなるように」。それも信頼だ。
 首輪で導いて主は私たちの心を連れていって下さる。自分の力では決して見られない景色を。

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 イエス 受肉 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ