存在だけで嬉しいから!
「花婿が花嫁を喜びとするように」 (イザヤ62:5)
「あなたの存在、それがわたしの喜び。」結婚式で、新郎新婦の笑顔から喜びが溢れてくる。司式した私も喜びでもらい泣きしそうだった。イエスさまの奇跡は見たことがないが、若い二人が相手の存在を自分の喜びとして誓いを立てる奇跡に、神のしるしを見た思いだ。思えば私もそんな「存在の喜び」に溢れて結婚したのだ。理想とは違う現実の中でこそ覚えていたい。
第三イザヤが花婿と花嫁の譬えを語ったとき、現実のエルサレムは不満に溢れていた。やっと神殿を再建したのに、神殿の祭司らは聖務を無視し、呪術を行い、弱者を虐げる。(マラキ書) 政治的にも約束の油注がれた王は現れず、祖国復興どころか未だに諸外国に服従している。
この不満の中に預言者は告げた。喜ぶ花婿のように「あなたの神はあなたを喜びとされる。」(62:5) どれだけ現実に不満があっても、どれだけ働きがなくとも、あなたの存在は神にとって「わたしの喜び」。そしてその喜びが現実となるように主は「新しい名」を定め、あなたの本質を変え、必ず神の喜びにふさわしくして下さる。
500年後、キリストの内に神は人となり、花婿となり、あなたの存在を喜びとされた。そして喜んであなたの罪を背負い、代わりに死なれた。