--目の前におられる--
「神をあがめ」 (ルカ2:20)
降誕日の聖餐式はまさに天国のようだ。悔い改めの降臨節で御子の受肉(クリスマス)と再臨の日に備えてきた。そしてイブ礼拝では、私たちの冷たい罪と滅びの闇に、温かいキリストの命を迎えた。死の夜は去り、命の朝が来た。
出産の翌朝、産みの苦しみは過ぎ去り、初乳を与えて少し眠れば、母マリアの目の前には赤ちゃんが小さな息遣いで眠っている。天使の告知どおり聖霊によって宿った神の子が、確かに目の前にいる。その小さな肉体で、神ご自身が私の目の前におられる。その圧倒的な存在感に打たれた母は、光のような静かな喜びに満ちて手を合わせた。赤ちゃんの内の「神をあがめた。」今、ここに共におられる「あなた」を見つめた。
それが聖餐式を祝う心だ。中世の絵は母マリアをひざまづいて祈る姿勢で描き、聖餐をあがめる信徒の祈りを表した。目の前のパンにキリストが、愛する神が、確かにおられる。私たちがどれだけ疑いに満ちても、どれだけ居場所がなくとも、必ず共にいてくださる。裸の命そのものの親密さで、目の前にい続けてくださる。
天国とは神ご自身が、そして先に逝った愛するあの人が、疑いようのない確かさで目の前におられるところだ。そこに今朝、私たちはいる。