来年の即位式で、新天皇はという台に「立ち」、総理大臣が万歳三唱し、元号が変わる。
主なる神が即位する「その日、主は御足をもってエルサレムの東にあるオリーブ山の上に、立たれる。」この山で、歴史が終わり、神が現れ、全民族が唯一の主を礼拝する、とゼカリヤは予言した。「今、目の前に立つ主の御足」は疑いようのない歴史的事実としての神存在を表す。
520年後に予言は成就した。神は人間イエスとなって歴史に直接介入し、具体的な時と場所を通して私たち人間を解放し始めた。主はオリーブ山に立ち、多くの人の身代金として都で殺さる使命に進まれた。終末の解放を教えられたのも、捕まる夜に祈られたのも、復活後に足跡を残して昇天されたのも、このオリーブ山だ。
そして歴史の終わりに、解放はここで完成する。オリーブ山から昇天した主は、御足をもって同じ山に立つ。私たちは復活し、世界の闇は光に溢れ、命の水は流れ、皆で唯一の主を礼拝する。それが「解放の時」だ。(ルカ21:28)
オリーブ山は神が人間に触れて罪から解放する歴史的・空間的な接点だ。この山が実在するように、私たちの日々に神の解放は実在する。み足をもって立つ主を、私たちは必ずこの目で見る。