「グレイヘア」と近頃は言うように、聖書も白髪(はくはつ)を肯定的に捉える。「白髪は輝く冠。」(箴16:31)信仰者はみすぼらしい老人ではなく、人生を知り尽くした長老、よき理解者になる。
「日の老いたる者」とダニエル書が表現した神は、私たちの人生と歴史を、喜びから苦しみに至るまで心底知り尽くす良き理解者だ。その知識は暗い心を照らす力だ。「衣は雪のように白く、白髪は清らかな羊毛のよう。」(7:9)だから神の「白髪」は幼稚な擬人化ではない。「神は私たちの歴史を知り尽くしている」という信頼の表現なのだ。そしてこの方による善悪の審きの日こそ、圧迫されて苦しむ民の拠り所だ。
「日の老いたる者」とダニエル書が表現した神は、私たちの人生と歴史を、喜びから苦しみに至るまで心底知り尽くす良き理解者だ。その知識は暗い心を照らす力だ。「衣は雪のように白く、白髪は清らかな羊毛のよう。」(7:9)だから神の「白髪」は幼稚な擬人化ではない。「神は私たちの歴史を知り尽くしている」という信頼の表現なのだ。そしてこの方による善悪の審きの日こそ、圧迫されて苦しむ民の拠り所だ。
その審きの座で天地の支配権を受けるのが「人の子」イエスだ。「知り尽くす」という父の使命を受けて人となり、十字架に至るまで私たちの罪と弱さを知り尽くし、天上に帰られた。そして世で苦しむ信仰者の拠り所となられた。
今、天上では既にキリストが平和の王として支配し始めた。そして終わりの日には、地上の支配関係、悪い力、死の力は必ず滅ぼされる。
「だから安心なさい。わたしはあなたの人生と歴史を知り尽くしているから。終わりの日に、あなたのすべての歴史は救われるから。」
「だから安心なさい。わたしはあなたの人生と歴史を知り尽くしているから。終わりの日に、あなたのすべての歴史は救われるから。」