悲しみからの優しさ 「柔和な人々は幸いである」 マタイ5.5 (諸聖徒日・墓地礼拝)

2018/11/04


天国のあの人はなぜかいつも優しい。嫌な思い出は無意識に忘れるからかもしれないが、神の国にいるのだからきっと優しい心のはずだ。
 「柔和」のヘブライ語の意味は「圧迫を受けて背が曲がっている姿」だそうだ。心が折れそうだけど神に頼って耐えている。その姿は悲しみを抱えて泣く姿にも、お墓で祈る姿にも似ている。自身の圧迫と悲しみを祈るとき、人は神には柔らかくなり、には優しくなる。
 「逝去者は諸聖徒になる」と信じる。様々な圧迫と悲しみ、最後には死の苦しみにより柔らかくされ、神の国を受け継いだ。そして天国から今も私たちを優しく見守って下さっている。
 最も圧迫されて背を曲げ、だが父に頼って最も柔らかくされたのがイエスさまだ。十字架につけられて命を与える程に柔らかくなられた。そして最も悲しんだからこそ、私たちのどんな悲しみをも優しく柔和に共に抱えて下さる。
 「背が曲がるような悲しみ。わたしはそれを共に抱えて優しさに変える。そしてあなたの悲しみは、透き通る秋空のような、天国への窓になる。復活の命は強さだけではない。神の悲しみによって変えられた優しさに溢れている。」
 悲しみさえ祈り、柔和な人にして頂こう。

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 イエス 受肉 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ